ゲーテの「ファウスト」について、
昔から疑問に思ってた事が論文pdfで存在してた。
つい読んでしまった・・・。
ファウストは何故盲目にならねばならなかったか
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/9958/1/HNjinbun0000700010.pdf最後、何故救済されたのか?
については様々な人が語ってるんですけどね。
色々思う所があったんですよ、色々ね。
文学はその時代を何らかの形で反映しているが故に、
当時の社会の壮絶な生き様、争い、そういった流れが
深く印象に刻まれる作品となりうる。
然るにファウストは当時の人生観等を顧みるのに
自分にとって勉強になった部分が大きい。
考えや捉え方次第で誤差が大きいけどね。
現状、そういった現在を反映しているという意味で、
文学からかけ離れて世俗的に考えたら
「とある魔術の~」が人気になる理由も、
その辺りにあるのではなかろうかとふと思った。
秀逸である、こんな時代だからこそこういうアニメ。
そりゃ人気にもなるわと納得した。
俺から言える事はこれだけだ。
「諦めんなよ、誰だって主人公になれるし、
主人公は一人じゃない、一人ひとりが主人公なんだ」
※注意勧告以下は多少言い方が辛辣な内容を含むため、
読んだ上で気分を害する方がいるかもしれません、
嫌な気持ちになりたくなければ、「読まない」
という選択肢を頭の片隅に置いておいて下さい。
とにかく、上記ラノベアニメ含めて
最近の作品はとにかく軽い。(表向きが特に)
外面着飾って中身スッカスカが多い。
騙された気分になる位なら買わない、当たり前。
とにかく仕組みが全て悪いと思う。
いいモノヅクリが出来る環境なわけが無い、
自分で考えてそんな環境を用意しない限り。
現代社会の影響は否めない。
社会の統制の元、刺激や知識が偏った上に、
脳を本当の意味で使う事を忘れ、
(これに関しては自分も出来てないと思うが;
日本という国の持つ性質も相まってか
叩かれるのを恐れて前に出ないか、
叩かれると分かっててもやる場合はオナニー。
思いやりが足りてない、これも凄い。
そうして「どうせ自分は」と卑屈になってしまうと、
日本という国の社会的に救いようがなくなってくる。
生まれた国は日本、否定したけりゃ出て行けと。
変革できるんならして下さいませ、
声を張り上げて本気でやってりゃいずれ応援します。
熱意で人を動かせなきゃ、誰だってそうでしょ?
熱意がその程度無かったら負け、認めるべき。
形に出来ない熱意は意味を持たない。
あと、周囲を見て欲しい。
一人ひとりが違う役割で、何かを成すから全体が整う。
全員が盲目的に同じ方向を向いても、
社会は成り立たない。直接関係無くても、
他の役割を果たす人達に感謝を忘れない事。
最後にもう一つ、
他人の想像できる範囲を超さないと、
良作とは取られません。
まず、自分の想像できる範囲を見つめる事。
理想との差を明確に認識する事、
理想に近付くにはどうすればいいのか
徹底的に考える事、分からなければ検証する。
一歩一歩進むと、作品は生まれ変わります。
押しつぶされそうなら、出来る範囲を見つめる所から、
出来る限り早くそこをやらないと、
取り返しが付かなくなります。
これは、なんか言わなきゃいけない気がした。
言ってる俺も、部分部分で徹底できてない事は多い。
自分を整理する上で、忘れない為に言った。
ごめんなさいね。