すべき事、やりたい事、世に出す事
2010年10月08日20時46分
先日の二つ目の答えが、徐々に見えて来た。
自分も他人も満足する方法、だ。
まず、他人を満足させる方法だが、その前に
先日の、そのままで居られなくなった自分は
何故そうなってしまったのかの理由を分析。
デザインとアートの感覚は、似て非なる物だが、
いくつか共通部分を持つ。
クライアントの喜ぶ物は何なのか、突き詰めると
クライアントは自分にどうして欲しいのか、
仕事では周りの目を気にし過ぎデザインを、
趣味では自分勝手に走ってアートをと
割り切ったのがどうやら問題として顕在化した様だ。
そして肝心の他人を満足させる方法だが、
答えはやはり理論で出せるものでは無い、
こういう場合、何らかの形で対話する事で
答えに近づく事は出来るが、机上の問題ではない。
実践を伴う会話という物が不可欠であると悟った。
しかるに、時には求める物がはっきりしたデザイン
時には漠然としているが芯が存在するアートを
自ら描いて提示し、相手の感触を探る事によって
徐々に近付いていく必要がある。
これは一朝一夕では成り立たず、
主に経験と時間が物を言う。
あらゆる手法を用いて論拠を示し、納得させる事。
これが企画と呼ばれる分野であり、
仕事の分野においても、
俺に今求められている事なんだなと分かってきた。
今までは顔色を伺って提出してきたが、
今回ばかりはそれでは何時まで経っても進展しない、
自分流が試されるチャンスでもある。
今回学んだ、忘れてはいけない事。
他人を満足させるには、
実践を伴い提示、牽引する能力と、
互いの意見を取り入れて調和、安定する能力が必要。
これでほぼ答えになったんではないだろうか。
自身の満足と他人の満足に関して相関を考えたが、
無価値と思うのはあくまで自分であり、
他人から見た感想はそれぞれ違う、
でも違う上で、要求を満たす条件により、
実践を伴って提示される結果に意味が付加される。
最終的には、自分が何をしたいか、
目的を見失わない事だ。
そうなると同時に、
ちっぽけな事に感動する感受性も
実は失ってはならない大事な要素。
無感動になったら、全てが色褪せてくる。
これが自分を満足させる為に足りない。
この事は、先日の一つ目の解でもある。
現状の俺の置かれた状況は把握した。
となると、次に必要なのは無感動を直す事。